春。
環境も変化して、人が動き、お金が流れ
何一つ、じっと人ところにあらぬ時期。
心が弱る。
春。
環境も変化して、人が動き、お金が流れ
何一つ、じっと人ところにあらぬ時期。
心が弱る。
すっかりご無沙汰してしまったブログ。
気持ちがあっちこっちにぷかぷかして
どれもつかめなくて
文章どころかテーマさえもつかめない日々が続いた。
自分では元気なつもりでも
どこか不調だったのだろう。
この書かない間も、色んなことがあった。
日々にしてみれば、大きな波と感じることも過ぎ去った今にしてみたら
ほんの小さな波のように思える。
でも、少なからず前に進んでいるのは確かである。
仕事のことも、プライベートのことも
少しずつ進展しつつある。
実際に進んでいることもあるが、何より自分の「腑に落ちた」という部分が大半を占めているように思う。
前に進むためには、自分が納得していなくてはね。
#生きる
#前進
#因果
自身も四十路を迎え、美容の変化も感じる今日この頃。
今までとは、何がどう変化したのか
日々向き合う顔だからこそ気がつかないし
今日からこうしよう。っていうのもなかなか難しいものがあるのだが、
最低限基礎には力を入れつつ、メイクは盛りすぎずナチュラルすぎず補えるものを足していくような気概で、日々頑張りすぎない程度に注力している。
人のことはどうでもよい。
のだが、どうしても怖いものが2つある。
それは、目元のバサバサメイクとカラーコンタクトを入れる女性が
どうにも、年齢よりも老けて見えてしまっているような気がしてならないのだ。
どうしてなのだろうか。
本人が満足しているから、何も批判するつもりはないのだが、どうしても気になってしまう。
年齢とともに、皮膚の衰えがよきに働き、
柔らかい表情を与えている。
それに逆らって上向きなバサバサまつ毛が、どうにもバランスが取れていないように思うのだ。
おそらく、微分積分しても美しい答えは導き出しはしないのではないだろうか。
カラーコンタクトも、黒目を大きくするものは表情がなく宇宙人のようで、恍惚の表情にみえるし、
色を変えるものは、老化による色素の低下に見えてしまう。
タイトルでも示したのだが
ありのままを受け入れるということは、ありのままの老化を受け入れて諦める。ということではなく
ありのままを受け入れて、一人一人老化のスピードや状態はちがうのだから
流行りや、若い人たちがしているまねをして盛るのではなく、
ちょっとエッセンスを足す、なにかを引く。
くらいの計算で良いのではないのだろうか。
元の美しさを大切にしていきたいし、社会がそうであって欲しい。
#まつ毛バサバサこわい
断酒1ヶ月目を迎えました。
2キロ落とせた!
よっしゃ!
カレー皿4皿分の脂肪とお別れ!
#1ヶ月達成
#2キロ減
満腹中枢が平常運転をしているおかげで
思いっきり食欲が落ち着いている。
お酒を飲むと満腹中枢が麻痺してたくさん食べたくなる。
なので、飲酒時も何かしらたべているし、飲み終わって寝る前にカップラーメンなど食べてから眠る。
翌朝もしっかりたべる。
朝食を食べたにもかかわらず、1時間後にはなぜかお腹がぐーぐーなるので何かをつまむ。
お昼がくる。
時間が来たので食べないと、ダラダラ食べちゃうし…という考えになりさらにしっかり食べる。
夕方に、晩飯の支度の気合い入れになにかをたべる。
そしてキッチンドリンクを開始、夕飯、晩酌、つまみ、締めらーめんのループ。
飲酒中は、飲んでない昼間でも満腹中枢が正常化せず食べさせていたのだ。
これは太るのも無理ない。
今は本当に食欲が落ち着いている。
むしろ夜はお腹も空かず、特に飲み物以外欲さないのだ。
明らかに一食の摂る量も減った。
いいことずくめだ。
禁酒1カ月記念の体重測定では少し体重が落ちてるといいのだけれど…
#お腹が空かない
禁酒3週間をすぎた頃から
人から肌のこと、髪のこと、体型のことを問われるようになった。
もちろん、とても心踊るリアクションだ。
自分でも明らかに丸々とした頬のお肉がとれたのがわかる。
下っ腹も二の腕も背中も少し減った。
1ヶ月達成まであと少し。
もっと、お肉が落ちますように。
ここで、ひとつ問題点。
禁酒のお供、炭酸水。
この存在にどれだけ助けられてきたことか。
喉越しがいつでもリフレッシュさせてくれる心強い味方だ。
一日2リッターは軽く飲んでしまうのだ。
…が、おそらく飲み過ぎなのだろう。
ここ3日、腹痛と下痢に見舞われている。
インターネットで調べてみても、炭酸水の過剰摂取は腹痛と下痢を起こす原因になることが、情報として溢れているのである。
禁酒のつぎは、禁炭酸水か…。
#お酒太る
小さい頃からずっと変わらず陥る感覚がある。
閉鎖的な空間にいると
その時その空間の秩序ができあがる。
その中でうまく生き残るために、うまくやって行くために
「そのため」の空気感が流れる。
同じことをして
同じものを良いと感じて
同じタイミングで
笑い合ったり褒めあったり。
同じものに関心を向けなくては行けないような無音の圧力を感じてしまう。
そういう空間にいることが気持ち悪くて
逃げ出してしまいたくなるのだ。
教室だったり、グループだったり。
大人になれば少しは楽になるものかと信じていたが、
今はこの住む町にいることに同じ感覚を持ってしまっている。
いつも群れたくないこの感覚は
一体なんなのだろう。
色々な情報がうるさくてたまらない。
#生きづらさ